長崎市の出身。片渕中学校のブラスバンドでを経て県立長崎南高校に進学。中学時代の恩師が小山氏の才能を見抜いて、お父様を説き伏せ、小澤征爾ほか数々の名演奏家を輩出している桐朋学園大学音楽科への進学を後押しされたそうです。桐朋学園大学ではファゴットを中川良平氏(サンフランシスコ響)に、室内楽とオーケストラスタディを中川良平、カール・ライスター(ベルリンフィル)両氏に師事。指揮を高階正光氏に師事。シャーマン・ウォルト氏(ボストン響)やレオナルド・シャロー(NBC響)氏等のレッスンを受け研鑽を積まれました。在学中よりプロ活動を始め、85年西日本新人演奏会出演、86年マーフィー木管五重奏団メンバー。
89年からは小澤征爾率いるサイトウキネン・オーケストラのメンバーに抜擢され、2回のザルツブルグ音楽祭やカーネギーホール公演を含む世界各地での演奏旅行に参加。「天覧公演」として有名な92年9月松本市での演奏会にも出演。91年には國學院大學管弦楽団と渡邊一正の指揮でウェーバーのファゴット協奏曲ヘ長調を共演しソリストとしてもデビュー。96年にはソロ・リサイタルを開く。97年には「東京バッハバンド」でバリトンサックス奏者としてもデビュー。
お父様のご病気等のため帰郷し、05年-09年、OMURA室内合奏団ファゴット奏者として活躍。一方、指揮者としては、94-96年國學院大学OBオーケストラ、02-03年立正大学管弦楽団の指揮者として活動。06年6月のフィルハーモニックオーケストラ・長崎の創設に関わり、同年11月のデビューコンサートにて、ブラームス交響曲第1番ハ短調などを熱演し万雷の拍手を浴びました。その後、同団の第2回を除く全ての定期演奏会、10周年演奏会、ちゃんぽんマチネー/ソアレーなどを指揮し、聴衆に届く演奏、ともに感動・喜びを分かち合える演奏に努めてこられました。
昨年7月、末期の膵臓がんが見つかり、8月下旬には抗がん剤を打ちながらの練習、そして9月、最後の演奏会となりました。亡くなる4日前にも次回の演奏会に向けて練習の指揮を執られ、文字通り最後の最後まで理想の音楽を伝えることに邁進されました。その姿は、小澤征爾の師である桐朋学園大の創設者の一人、齋藤秀雄先生の最後の演奏と重なるものがあります。2017年11月15日没。享年59歳。
当団は、小山氏の遺徳を偲び、第18回定期演奏会を「小山大作先生追悼演奏会」として開催することにいたしました。指揮は、氏の同窓・同期で親友の末廣誠氏に託されました。
(2018.2)